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マクシミリアン (メキシコ皇帝) : ミニ英和和英辞書
マクシミリアン (メキシコ皇帝)[みかど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

皇帝 : [こうてい]
 【名詞】 1. emperor 
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 

マクシミリアン (メキシコ皇帝) : ウィキペディア日本語版
マクシミリアン (メキシコ皇帝)[みかど]

マクシミリアーノ1世(、1832年7月6日 - 1867年6月19日)は、ハプスブルク=ロートリンゲン家出身のメキシコ皇帝(在位:1864年 - 1867年)。全名は、フェルディナント・マクシミリアン・ヨーゼフ・マリア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン()、フェルナンド・マクシミリアーノ・ホセ・マリア・デ・アブスブルゴ=ロレーナ()。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟。妻はベルギー国王レオポルド1世の王女シャルロッテ・フォン・ベルギエン
優れた海軍の軍歴ののち、1864年4月10日、フランスナポレオン3世と帝政復活を望むメキシコの王党派の支援の下、メキシコ皇帝に即位した。アメリカ合衆国を含む多くの国々は彼の帝国を承認しなかった。これはベニート・フアレス率いる共和派軍の成功を確かなものにし、1867年に捕虜となり処刑された。
==生い立ち==

===誕生===
1832年7月6日、オーストリア帝国の首都ウィーンのシェーンブルン宮殿で生まれた。誕生ののちに洗礼を受け、「フェルディナント・マクシミリアン・ヨーゼフ」と命名された。ファーストネームは父方の伯父で後の皇帝となる代父フェルディナント1世に、セカンドネームは母方の祖父でバイエルン国王マクシミリアン1世・ヨーゼフにそれぞれ由来する。
父のフランツ・カール大公は神聖ローマ皇帝フランツ2世(後のオーストリア皇帝フランツ1世)の成年を迎えた二人の息子の一人であり、父方ではハプスブルク=ロートリンゲン家であり、母ゾフィーはヴィッテルスバッハ家のバイエルン王女であった。知性と野心と強い意志のあるゾフィーは夫とはまったく共通するところはなかった。歴史家のリチャード・オコナー()はフランツ・カール大公を「人生の最大の主要な関心事は肉汁たっぷりのミートボールを平らげることだという鈍重な肥った男」と表現している。そのような人柄の違いにも関わらず、この結婚は実りの多いものとなり、4度の流産の後、マクシミリアンを含めて4人の子供が生まれ育った。
ウィーン宮廷の噂によれば、マクシミリアンは実は、ゾフィーとナポレオン1世とフランツ1世の皇女マリー=ルイーズの間の唯一の息子でマクシミリアンのいとこにあたる「ライヒシュタット公」ナポレオン2世との間の婚外子ではないかという(そうであるならマクシミリアンはナポレオン1世の孫、フランツ1世の曾孫になる)。このゾフィーとナポレオン2世の不倫の問題の存在と可能性とマクシミリアンがその賜物であるという説は歴史家によって退けられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マクシミリアン (メキシコ皇帝)」の詳細全文を読む




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